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School Food Forum2023 振り返りレポート_02 基調講演「本当の生き方を探そうー食を基本に置いてー」中村桂子さん

こんにちは、樋口です。
スクールフード・フォーラムの振り返りレポート、今回は中村桂子さんの基調講演を振り返ります。
中村さんは「生命誌」という考え方を構想され研究を続けていらっしゃいますが、農業教育との関わりも深く、福島県喜多方市や北海道美唄市の小学校農業科の活動にも携わっていらっしゃいます。

今回、念願かなってスクールフード・フォーラムの基調講演にお越しいただきました。

中村桂子(JT生命誌研究館 名誉館長)

1936年生まれ。生命誌研究者。東京大学理学部化学科卒。同大学院生物化学博士課程修了。理学博士。三菱化成生命科学研究所 人間・自然研究部長、早稲田大学人間科学部教授、東京大学客員教授、大阪大学連携大学院教授を歴任。「人間は生き物であり、自然の一部」という事実を基本に生命論的世界観を持つ知として「生命誌」を構想。1993年「JT生命誌研究館」を創設し副館長。2002年に館長、2020年名誉館長。著書に「科学者が人間であること」(岩波新書)他多数。

   

周辺環境への眼差しが変わる農体験を

本題に入る前に少し自分の話をさせてください。わたしが教員をしていた頃、光村図書の6年生国語科の教科書に中村桂子さんの「生き物はつながりの中に」が掲載されていました。ロボットや機械とは異なる人間のあり方について書かれた説明文でしたが、そのことを本当に理解するためには、実感を得られる「経験」が必要だと強く感じていました。何よりわたし自身が「生きものとつながっている」という感覚を持てずにいたからです。

子ども時代に自然と触れる機会がなかったわけではありませんが、身の回りで起きている自然のはたらきには本当に鈍感でした。「枝豆が大豆に変化していく」という事実を大人になって初めて知ったときの衝撃は大きく、身近に農産物に触れる経験やそもそもの関心がないと当たり前の事実を知るきっかけさえ持てないのだと思いました。毎日食べているものなのに…。

自然界の成り立ちや仕組みもわからないままに学校教育に携わっていることへの焦りや不安…それらを抱えながら過ごすなかで「食」に関心をもち「学校給食」というシステムについて多少なりとも考えるようになり、もっと「食や農」を身近にしていきたいと思うようになったのは必然の流れなのかもしれません。

2016年から食農教育に携わるようになり、田畑(農作物・生き物を含む)がこれまでよりうんと身近に感じられるようになってきたのは、やはり自分自身が農業に触れる機会が増えたことが影響しています。食農教育を経験することで「風景の見え方が変わった」と話してくれた中学生がいましたが、関わる大人もまた、自分自身と周辺環境を見つめ直すきっかけをもらっていると感じます。

基調講演での中村桂子さんのお話の内容を反芻しながら、生きもの感覚を育む食農教育について考えたいと思います。

基調講演「本当の生き方を探そうー食を基本に置いてー」

まちの食農教育の活動、先日オンラインでお話をお聞きしてとても素晴らしい活動をしていらっしゃったので、今日は覗きにやってきました。これまで研究してきた「生命誌」という立場からお話しさせていただこうと思います。

私は1936年生まれで、小学校4年生の時に敗戦を迎えました。戦争で痛めつけられ、子どもなりにいろんなことを感じていました。以降、みんなが生き生きと生きられる社会をつくって次の世代に渡そうと思い、生きてきました。生きものは、自分が生きるだけではなくて、次につないでいかないといけません。これは自分の子どもを産むということだけではなくて、生きているものがつながっていくということです。

おいしいものが食べられるようになり、子どもたちも元気に遊べるようになり、だんだんと良い社会になっていくと思っていたけれど、近頃、ほんとうにこれでいいのか、こんな社会を次の子どもたちに渡したかったのかしら、と思うようになってきました。

もう一度「本当の生き方」を探そうと思った時に、「食」を通して考えるのはとても良い切り口だと思いました。音楽やスポーツなど人々の興味・関心はさまざまですが、食べない人は一人もいません。だから、食べることは人々がどのように生きていくかを考えるにはとてもいいテーマです。わたしたちは本当にきちんと食べているのかという問いはたくさん出てきていますし、世界に目を向けると「食糧危機」の問題もあります。

そのような背景を踏まえて、今日は自分の研究をとおして思っていることを申し上げます。

一人の人間が考えたこととして聞いていただければと思います。

長年、生きものの研究をしてきた結果、大きく次の4つのことがわかりました。

① 多様であることがとても大事。

② 多様な生きものはどれもDNAの入った細胞から成り、それはすべての生きものが40億年前に海にいたとされる祖先細胞から進化したから。すべての生きものが祖先を一つにする仲間。

③ すべての生きものは40億年の歴史をもち、それぞれの生き方をしているのであり下等生物、高等生物と言う区別はない。

④人間が扇の中にいる。現代社会は人間は扇の外、しかも上にいると考えている。環境問題や様々な食や農の問題を考える時、上から目線ではなく中から目線(扇の中にいる)の感覚が大事。それが「人間は生きもの」ということ。

そして、今の社会が「生きもの感覚」を失っていることが問題だと思っている、と中村さんはおっしゃいます。森の中のイチジクと蜂の関係、生態系の中の生きものの種類と数、人間の体内にいる微生物(遺伝子)の関わり合い方を具体的にお話しいただきながら、〝機械〟ではない〝生きもの〟の生き方を示してくださいました。

「知識だけではその感覚は持てない」と中村さん。子ども時代から年間を通じて農業に触れる経験が大切だとおっしゃるその背景にも触れられ、神山町で進めている食農教育の活動についても背中を押してもらいました。

10年ほど前になりますが、「これからの子どもたちには英語とコンピューターができるといい」という有識者の話を聞き「コンピューターができると何がわかるようになるのですか」と尋ねました。すると「株価がわかるようになる」と。

わたしは「子どもだったら、株よりも畑のカブの方が大事じゃないですか」と投げかけました。

その話が新聞に掲載され、それを見た喜多方市の市長から連絡があり、全国で初めて小学校の時間割の中に農業科を入れる取り組みが喜多方市で始まりました。子どもたちは農業のことを一年中考え、植物と一年中関わっています。「あなたが生きものであることを学ぶ農業」にしましょうと話し、喜多方市に続いて北海道美唄市でも小学校農業科の取り組みが始まりました。

食べものづくりは、おいしいものをつくる、安全なものをつくる、自給自足するということだけではなくて、本当の人間をつくるということにつながるということを感じます。

喜多方市のある地区の給食は、30年前から毎日朝採りの野菜を届けています。当時は既存の取引先以外は補助金の対象外になっていましたが、理想の給食づくりに向けて教育委員会、喜多方市、保護者が費用を分担して実現しました。

また、熱塩地区の小学校では給食を会津塗りのお椀とお箸で提供しています。このように「食べる」ということが様々なものにつながっているという意識は本当に大事だなと思います。

日本はそのような感覚をもっている国です。

日本の小学校の「理科」は、明治時代にヨーロッパから入ってきた科学をもとにできた学科ですが、調べて驚いたのは「自然に親しむ」と「自然を愛する心情を育てる」という目標があることです。ヨーロッパの科学にはないことで、日本のおもしろいところだと思います。

自動車は設計図と部品があれば作れます。「お米をつくる」と言いますが、イネを作ることはできません。イネは育てることしかできないのです。「子どもをつくる」とも言いますが、子どもは生まれる、恵まれるものです。そういう感覚が育っていくのではないかと思っています。

生き物としてもう一つ考えたいことは「私」のこと。自分探しをしている人たちもいますが、私にはそれぞれ親がいるので一人でいるはずはなくて、私は私たちの中にしかいません。私たちの中の私は、扇の中の私、わたしたち生き物の中の私なのです。
これは、科学的事実としてお伝えしたいのです。

ホモサピエンスは全員アフリカから生まれた同じ祖先です。アメリカもロシアもウクライナも北朝鮮の人もイスラエルの人も、みんなアフリカの少数の祖先から生まれています。「私たち」の中の「私」と考えた時には、お互いに憎むような関係にはなり得ないですよね。私たち生きものの中のホモサピエンスというたった一種類の仲間なんですから。

扇の中の仲間である生きものも、一つひとつ特徴を持って生きています。その中で、人間の特徴は、直立二足歩行をすることです。手ができて大きな脳ができて今に至ります。なぜ直立二足歩行したかという答えはまだ出ていないのですが、いろんな説がある中でわたしが好きな説を紹介します。

人間は、他の生き物と比べて犬歯が小さくて弱かったため、傍(わき)へ追いやられ、食べ物を遠くに採りに行かねばなりませんでした。お互いに信頼し合っていないと他の人が採ってきたものを安心して食べられませんよね。

「共食」は人間だけがやっていること。強い共感力があって一緒に食べるのが人間の特徴ですが、遠くから採って運んでこなければなりません。そのために立ち上がらざるを得なかった、というのが二足歩行に関する私の好きな説です。

「一緒に食べる」という人間の特徴は、大事なことだと思います。だから今「孤食」という状況が生まれることは、共感力が強い生き物としての生き方とは異なると感じています。そこで、農業というのはとても大事な、社会を支える一番の基本として考えていかねばならないと思います。

共感力と共食、平等に分け合うことを基本としてきた狩猟採集の時代から、農業が生まれ、階級ができたり穀物を蓄えたり、今の社会につながってきました。

農業について関心を持つということは、ただ食べものづくりを超えて、私たちの文明のあり様をもう一度考え直す一番いい切り口になります。私たちを支える食べものづくりを考える社会にしていくことが求められています。

最後に、生きもの感覚をうまく表す言葉として「愛づる(めづる)」という言葉を紹介します。フィロソフィー(哲学)という言葉があります。フィロ(愛する)+ソフィー(知)、知を愛する、よく考えていろんな物事をやっていく、いろんなものを愛していくのがフィロソフィーです。見かけではなくて本質を見たら本当に好きになる、そういう愛のことを「愛づる」と表しています。

「堤中納言物語」に登場する「蟲愛づる姫君」は身近な生きものを観察し、見かけだけではない生きものの本質を発見する心をもったお姫様。中村さんは、このお姫様の諭すことと同様に、大事なのは知識ではなくて、生きていることをよく見てよく考える、その気持ちだと伝えてくださいました。「愛づる」という感覚が生きものに対してはとても大事で、子どもたちがおのずと持ってくれるようになれば、社会も生きやすくなるのではないでしょうか、と講演は締めくくられました。

経験が蓄積されていくこと、豊かな表現の土壌をつくること

神山町内の小学校低学年から中学生、高校生に関わっているなかで、特に低学年の児童らによく見られるのが、野菜に話しかける姿です。発芽したばかりの野菜に耳を近づけ「歌を歌ってるよ〜」と周囲に聞かせてくれたり、野菜に向かって「大きくな〜れ!」と応援したり。子どもならではの感性と視点で様々な生きものや自然の姿を捉えているのです。

中村さんが紹介してくださった喜多方市の児童の作文の中にも、野菜を生きものとして捉えている表現や、東日本大震災のあとの農産物の扱いについて書かれた児童の言葉がありました。

先日、雪の中で野菜を収穫した時には寒さで手が痛くなって涙を堪える児童もいましたが、「雪」という言葉を見るたびに今回の体験で得た感覚を思い出すかもしれないし、ブロッコリーやジャガイモを見るたびに「寒さに耐えてよりおいしくなるよ」と話していた農家の言葉を思い出すかもしれません。

畑や田んぼで動き回り、よく観察し、土に触れる体験を重ね、五感をはたらかせながら言葉を獲得していく子どもたちを見ていると、食農教育の可能性を感じずにはいられません。表現できる時間があって、給食が食べられて、伝え合える仲間がいて。

以前、ある方から「食農教育を続けることで、子どもたちの表現活動が豊かになるのではないか。絵を描くとき、文章を書くとき、造形活動をするとき、これらの実体験が生き生きとした表現につながってくるはず。だから、とても大切な経験だ」というふうにおっしゃっていただきました。

40億年という長い生きものの歴史から見るヒトの特徴(弱さと強い共感力)、日本の理科教育で大切にされてきた生きものや自然を大切に育む感性、平安時代の姫君が大切にしていた「愛づる」感覚を持ちながら、まちの食農教育、私たちの未来をつくっていきたいと思います。子どもたちが「生きもの感覚」を養い、実感のこもった「ことば」が蓄積されていく先には、やさしい世界が生まれてくることを願って。

photo : Akihiro UETA


主催:NPO法人まちの食農教育
後援:農林水産省、神山町教育委員会、神山つなぐ公社
助成:日本財団

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School Food Forum 2023レポート

この記事を書いた人:樋口 明日香(ひぐち)

徳島市出身。神奈川県で小学校教員として働いたあと2016年からフードハブ・プロジェクトに食育係として参画。2022年3月フードハブから独立し、現職。まちの小・中学校、高校、高専の食と農の取り組みにかかわりながら「みんなでつくる学校食」を模索中。 noteでは月1ペースで現在地を発信中 ▶︎▶︎ https://note.com/shokuno_edu/