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【レポート】食と農の未来会議 in 神山 2024

NPO法人まちの食農教育の活動がスタートして3年が経ちました。地域の方々とともにつくる、食農プログラムは年々深みを増しています。
まちの食農教育の前身である「フード・ハブプロジェクト」での活動も含めると、神山町で食育に関わって9年目。初めて出会ったときに小学校5年生(11歳)だった子どもたちは19歳になりました。成長していく子どもたちの姿を前に、「これからの食と農をどう描くか」を考えざるを得ない状況です。
社会学者である田村典江さんの『みんなでつくる「いただきます」』を読み、「フードポリシー・カウンシル」という言葉に出合い開いた勉強会が「食と農の未来会議 in 神山 2024」です。
講演では、現代社会の食を支える仕組みが生み出した歪みや、そこに立ち向かうべく生まれた「フードポリシー・カウンシル」のムーブメント、そして京都で田村さんが携わっている「亀岡オーガニックアクション」での気づきと手応えについてもお話しいただきました。
現代社会の食を理解するための言葉「フードシステム」
田村さんのお話は「フードシステム」というキーワードの紹介から始まりました。フードシステムとは、生産から流通・加工・消費・廃棄といった食にまつわる一連の過程に加え、それを支える政策・制度・人・社会・環境までも含む包括的な仕組みのことを指します。
食にまつわる問題を解決しようとするとき、食や農だけに注目していても根本的な解決には至らない。そんな問題意識から生まれたこの考え方は、世界的に注目されています。
物流やお金の流れのことを指す「サプライチェーン」とは異なり、フードシステムでは健康や環境の問題、市民社会の動きも含めた総合的な視点が求められます。
私たちの暮らしを支えるフードシステムは、あまりに身近で便利であるため、まるで昔から当たり前のように存在していたかのように感じられるかもしれません。しかし、国際的に食品が流通するようになったのは、実は第二次世界大戦以降のこと。この国際化と流通量の増加を支えたのは「農業の工業化」と「流通の自由化」でした。
まず、農業の面では「緑の革命」によって化学肥料・殺虫剤の使用や、品種改良、機械化が一気に進み、農業生産量が大きく増加しました。大規模な単一品種の栽培が主流となり、より効率的な生産体制が整えられていきました。
一方、流通の面では、世界銀行や国際通貨基金などの、国際的な金融機関の支援に加え、GATTやWTOのような自由貿易体制の整備が進み、農産物の国際取引が活発化しました。これにより、貿易量は飛躍的に増加しています。
こうした背景のもと、国内市場も急速に国際化が進みました。そして、これこそが最も重要で厄介な問題であると田村さんは強調します。
「国内市場が国際化すると、例えば神山町のような山村でもスーパーで外国産のものが手頃な値段で買えるようになります。それは、地元の農産物なども国際的な市場競争に巻き込まれるということ。つまり、食が完全に『商品化』されてしまい、お金がなければ食にアクセスできない構造が強まっているんです」

さらに、私たちの市民生活における“時間の欠如”も、食への関心を薄れさせる要因であると田村さんは言います。例えば、都市部で働く人が9時から18時まで勤務し、帰宅する頃には19時を過ぎている状況では、自炊に時間をかけるのが難しくなります。こうした生活をせざるを得ない社会そのものが、私たちから食の主導権を遠ざけている要因でもあるのです。
環境にも、社会にも、課題だらけのフードシステム
ここで、農業生産性について理解するための具体的なデータが紹介されました。1961年から2020年の間に、世界人口が1.5倍になったのに対し、世界の穀物生産量は2.5倍にまで増加しています。この劇的な増加の背景には品種改良、化学肥料や農薬など化学物質の使用、機械化などの技術革新が大きく関係しています。
しかし、このような農業を続けてきた結果、深刻な環境破壊が引き起こされています。例えば、地球全体の温室効果ガスの排出源の約30%は、食に関する分野から生まれており、世界の淡水使用量の70%が農業に使われています。さらに、森林伐採の最大要因も農地開発です。
影響は環境だけにとどまりません。人間社会にも負の影響が及んでいます。日本を含む先進国では過剰な栄養摂取や肥満が深刻な問題になりつつあり、その一方で食品ロスは増え続けています。それなのに、飢餓もいまだに解消されていません。このような「食べすぎる人」と、「食べられない人」が同時に存在するという矛盾が、世界規模で広がっているのです。これらの歪みに気づき始めた人々が、特に気候変動の文脈において「現行のフードシステムを維持することには限界がある」と声を上げています。

地域の食のあり方を決める「フードポリシーカウンシル」
ここで期待を集めるのが「フードポリシーカウンシル(以下、FPC)」です。食の社会学の分野でも注目を集めているこの言葉は、食に関する政策のあり方そのものを見直す動きとして世界中に広がっています。
先ほどのフードシステムという言葉からも理解できるように、食をとりまく環境は非常に複雑です。例えば、日本の政府ひとつをとっても、農林水産業は農林水産省、栄養や公衆衛生は厚生労働省、食品安全は食品安全委員会、産業としての食を扱うのは経済産業省、というように、縦割りの省庁で管轄されています。日本全体として食をどう扱うのかを決める場は存在していません。
このような背景から、国レベルの変化には限界があります。そこで注目されているのが「ローカルフードポリシー」と、それを決めるためのFPC。田村さんたちはFPCに「食と農の未来会議」と邦訳をつけました。
生協や農業推進団体、消費者グループなど、食に関する団体はすでに多く存在しますが、FPCでは「制度や政策の変化を目的にすること」「全国的な運動ではなく、地域ごとの変化に焦点を当てること」「多様な主体が協働・共創すること」を目指します。
形態は地域によってさまざまで、行政から委託されるケースもあれば、市民団体やNPOが主導するかたちもあります。FPCはもともと1982年、アメリカ・テネシー州ノックスビルで誕生しました。背景には、生活習慣病の増加や、所得格差による“食の不平等”といった切実な課題がありました。2000年代以降、アメリカやカナダを中心に急速に広がっています。

一方で、日本ではまだそれほど広がっていません。その理由として、田村さんは「日本にはまだ“切迫感”がない」ことを挙げます。むしろ日本で今、関心が高まっているのは「地域の食と農を、これからどうしていくのか」というテーマ。その問いに向き合う上でも、FPCの視点は大きなヒントを与えてくれます。
「亀岡をオーガニックのまちにする!」への共感から生まれた活動
北米で広がったFPCのムーブメントを受け、田村さんたち研究者は「日本にもFPCが必要だ」と考え、動き始めました。そして、2016年から2021年にかけて、全国各地でFPCを根付かせるための参加型研究「総合地球環境学研究所FEASTプロジェクト」を展開。その一環として立ち上がったのが京都府亀岡市の「亀岡オーガニックアクション」でした。
現在は一般社団法人になり、亀岡に移住した農家と研究者が共同代表を務め、田村さんは事務局として関わっています。遊休農地で有機米を栽培して学校給食に提供するプロジェクトや、有機野菜を取り入れたい飲食店と農家のマッチング支援、農業技術の研修会など、地域に根差した実践的な活動が継続されています。
とはいえ、このプロジェクトも最初から順風満帆だったわけではありません。軌道に乗るまでの試行錯誤がありました。始まりは、田村さんが各地で「FPCを日本で実践したい」と発信していた際に、亀岡市役所の職員が「亀岡でやってみてはどうか」と声をかけてくれたこと。
その後、市のサポートのもとで、亀岡市の食と農に関わるキーパーソンを集めたワークショップを開催。そこから、次のアクションが生まれることを期待していましたが、次のステップには至りませんでした。田村さんは当時をこう振り返ります。
「食と農の未来を考えるというテーマは一見面白そうですが、漠然としていることに気づきました。もっとみんなの心に響いて、行動したくなるような合言葉が必要だと思ったんです。まずはそれを探そうと、さまざまなテーマでセミナーを開きました。
なかでも大きな反響を読んだのが、『亀岡をオーガニックのまちにする!』というテーマのセミナーでした。ここに、まちの人たちが求めるテーマと、アクターがいたんです。
ここで出会った人たちが『継続的に何かしましょうよ』と言ってくださり、2019年に『かめおか農マルシェ』を開催しました。そこで、農家の話を聞く有料のトークイベントを開催すると、多くの人が集まったんです。マルシェをきっかけにできた農家と研究者のつながりが現在の亀岡オーガニックアクションにつながっています」
その後も継続的に活動し、市役所との連携も順調。今では、「亀岡オーガニックアクションにこんなことをお願いしたい」と市役所から相談がある一方で、市役所に「こんなことを一緒にやりませんか」と提案する、双方向の関係性が築かれています。
亀岡市はもともと市長が環境問題に関心が強く、市民の声を拾い上げる姿勢があることなどの政治的土壌があったことも後押しになりました。しかし今では実績が積み重なり、たとえ市長が変わったとしても揺るがない仕組みが作られているとのこと。このような活動で重要なことを田村さんは以下のように強調します。
「研究者が外から何を言ってもダメなんです。地元の人が『これをやりたい!』と役所の人に言わないと、役所の人も真剣に取り合ってくれません。私たち研究者は、あくまで触媒のような存在です。その意味でも、一緒にプロジェクトを推進するパートナーと、テーマ設定が鍵だったのだと改めて感じています」

食と農の持つ、地域の課題を解決する可能性
最後に田村さんは「食から地域を見ること」の重要性について語りました。食の課題を、農業政策や食品衛生政策といった行政の枠組みで捉えるのではなく、もっと地域全体として見るべきであると提案します。
例えば、徳島県にもある「棚田」。中山間地域では、農地面積も限られており、産業として収益を期待するのは難しいかもしれません。しかし、棚田があることで年間を通じた観光資源となり、地域経済を間接的に支えています。つまり、ゴールは「農産物として儲けを出す」以外にも設定が可能なのです。田村さんはこう話します。
「例えば、棚田のお米は町が買い取って、給食や町民に配布しても良いわけです。そうすることで、耕作者はある一定の収入があるため、無理なく耕作が続けられるようになります。
さらに、観光も視野に入れて棚田を捉えると、観光の予算を、棚田の維持に回すことができる。つまり、農業を農政の中に閉じ込めないことが大切なんです。もっと地域一体で大きな枠組みの中で食を捉え直す視点が求められています。
経済合理性に任せてしまうと、グローバルなフードシステムには抗えません。いかにそこで勝負せずに、地域ならではの流通や価値を作るかが大切です」
現在、野菜の付加価値化や有機を強みに、傾斜地や中山間地域での農業の課題を乗り越える動きもありますが、実はそれはかなり狭い範囲での課題解決になる可能性があります。農業の価値は、そういった農産物の市場だけで評価できるものではないはずです。田村さんは、より広い視野を見渡せる視点を私たちに提示します。
「例えば有機農業をすると、生き物の住処や、子どもが安心して遊べる田んぼが増えます。それって、お米が取れる以上の価値があることだと思うんです。先ほど話したように、傾斜地に田んぼがあればそれは観光資源にもなる。それは平地の農業よりも効率は下がるかもしれませんが、もっと自由に考えてもいいんじゃないかと思います。農業の持つ価値について、より大きな視点で捉えてみてはいかがでしょうか」

質問コーナー「分断とどう向き合えば良いですか?」
当日は、地元の方や、農家、役場職員、食に関心のある方などたくさんの人に集まっていただき、活発に質問が行われました。一部ご紹介します。
Q.FPCの具体例について知りたいです。
A.例えばカナダのトロントの場合ですと、地域の農業団体や経営者、若者の団体など、さまざまな立場の人が集まり、今困っていることをみんなで話して、市役所にしてほしいことをディスカッションします。例えば、お金がないとフレッシュな野菜が手に入らない状況があるとして、貧しい人が自由に使える市民農園を作ろうと要求するとします。すると、市が持っている敷地を使えるように解放するなど、市からアクションがあるんです。
このように、食に関する問題意識のある人を集めて、定期的に会議をして、それに対して市役所が応えていくというやり方もあります。
Q.現在、神山町には個人でも、団体でもステークホルダーがいると思います。多様なステークホルダーを一つにまとめようとすると、逆に分断が生まれるのではないかと思いました。その点についての意見を教えてください。
A.まず、団体を作ること自体は大切だと思います。例えば、活動をしていたとしても、個人の活動には市役所は協力はなかなかしづらいんです。でも、団体にすることで、行政と連携しやすくなるんですね。
分断については、難しいですね……農や食の分野って、分断しやすいんです、本当に(笑)「有機でも、自然農でも、慣行でも、いいじゃない」と、そう穏やかに言い合いながら、何かを排除せずに話し合う姿勢が求められると思います。そもそも、農業自体が非常に弱い立ち位置にあるのだから、内部で分断している場合ではないんです。その折り合いがつかない場合は、無理に同じ場所にいなくてもいいんです。それもまた自由なんですから。
食と農の問題を考えるとき、その背後にあるシステム全体に目を向ける必要があります。裏を返せば、食と農を入り口にすることで、地域に横たわる課題の本質や、その解決の糸口が見えてくるかもしれない。そんな可能性を感じました。食と農をキーワードに未来を描くFPCの活動に、ますます期待が高まる1日でした。
髙木晴香(文)
植田彰弘(写真)
助成:日本財団